2024年11月5日~11月18日
【11月5日】
難波OCAT発22時の夜行バスで熊本へ、熊本駅前11月6日8時27分着
【11月6日】
今日は街道歩きでなく、レンタカーを借りて、どうしても行きたい残っている史跡を回ります。なかなか機会がなければ来れないので、薩摩街道歩きに合わせて、街道近くの熊本、鹿児島の史跡を回ります。
まず山鹿市の日輪寺へ
そして、熊本市の宮本武蔵の遺跡である雲巌禅寺・雲巌洞・西の武蔵塚を見て回ります。
熊本駅から八代駅へ移動します。
八代市内の史跡
まず、山鹿市の日輪寺
熊本県山鹿市杉1602
敏達天皇時代に肥後熊本に建てられた七伽藍の一つ。当時は小峯山日羅寺という法相宗の寺だったが、朱省天皇時代に荒廃した。正和5年(1316)に菊池武時が天庵懐義を招き再興、延元2年(1327)後醍醐天皇の勅願所と定め、醫福山日輪興国禅寺と改め、現在は 曹洞宗日輪寺 と呼ばれている名刹。
正面に山門肥後三大銘鐘 が釣られています

梵鐘 室町時代(1358年)の鋳造

堀内伝右衛門の碑
お寺は、堀内伝右衛門を通し赤穂義士との関係が深い

赤穂義士の遺髪塔
細川家にて切腹した大石内蔵助他16名の遺髪を持ち帰り、遺髪塔を建てた

赤穂義士四十七士の内十七名は、熊本細川家に預けられた。堀内伝右衛門はその世話役



日輪寺の春には、庭園に約35000株のツツジ、桜200本が咲き誇り有名

境内に巨大な石像 お釈迦様の弟子の一人とされる「おびんずる様」の大仏

写真うまく撮れていないが 石体観音33基


赤穂義士、大石内蔵助像

赤穂義士の細川藩接待役 堀内伝右衛門夫妻の墓


境内山麓の墓所、古刹だけに歴史を感じる墓所

梵鐘を釣っている山門

お寺の正面

日輪寺の見学終わり熊本市に戻る
上熊本駅の西、加藤清正を祀る本妙寺の更に西、本妙寺山の南の西区島崎7丁目7-12にある
西の武蔵塚へ
熊本市西区島崎7
ここは、宮本武蔵の弟子、寺尾信行一族の墓所。自然石に「玄信居士」と刻まれています。
西の武蔵塚に対して豊後街道沿いの龍田に東の武蔵塚があります。
寺尾家の墓所は非常に大きい、五輪塔等が散在しています。
住宅地であるが非常に結構山手で、資料がなければ見つけにくい
西の武蔵塚の案内板


宮本武蔵の墓(西の武蔵塚)


付近一帯に 寺尾一族の墓 が沢山あります
武蔵の弟子 寺尾信行の兄寺尾孫之丞は、武蔵から「五輪書」を相伝された。龍の武蔵塚には太刀だけ埋め、遺体は寺尾家の墓地に葬られたともいわれている。


よく分かりませんが、霊樹姫の墓「古屋姫」一説には豊臣秀頼の姫ともいわれる


西の武蔵塚見学終わり 雲巌禅寺へ
曹洞宗宝華山雲巌禅寺(うんがんぜんじ)
熊本市西区松尾町平山
通称 岩戸観音 これは、境内奥の院の洞窟・霊巌祠に安置している本尊・石体四面の馬頭観音像からきている。
寺は西区の金峰山(標高665m)の西麓に位置する。境内は1975年(昭和50)県史跡名勝に指定され、裏山に江戸中期の十六羅漢、五百羅漢の石像が並ぶ。
また、宮本武蔵が晩年、この洞窟に参詣し、二天一流の極意書「五輪書」を著わしたことは有名です。隣接する宝物館には、佐々木小次郎との巌流島での決闘に使用したといわれる木剣や武蔵の自画像が収録されている。
お寺に下る駐車場にある 武蔵の座禅像




曹洞宗宝華山雲巌禅寺 熊本市西区松尾町平山 門前の石標

奥に進みます

入口を入ると 宝物館 木剣や自画像

五百羅漢の説明

五百羅漢の石像 が整然と斜面に並んでいる
静かに並んでいる石仏群。熊本の豪商・渕田屋儀平の発願により、1779年(安永)8年から24年の歳月をかけ石工了善が造ったと伝わる。何とも言えない雰囲気であり光景


その先下って行く

二天一流の由来碑 が建っていますが刻字はももちろ読めない

霊巌洞の下の塔や灯篭

霊巌洞
1640年(寛永17)熊本藩主の細川忠利に招かれ武蔵が「五輪書」を大成した洞窟と言われている。
何かすごく荘厳な身が引き締まるような雰囲気



外人さんが見学していました


洞窟内


洞窟内の巨石


洞内に 岩戸観音 が祀られています

洞窟より急な斜面の石段を下りる

洞窟よりの戻り

戻る途中に 閻魔洞

延命地蔵尊


五百羅漢を左に見て戻る

左に お堂

出口に戻ってきました


お寺の前の景色、結構市街地より奥にあります。お寺の前からの景色

熊本で残っていた史跡を終わり、レンタカーを返して、熊本駅からJRにて八代駅に移動します
八代駅について時間が少しあるので
八代城 を回る
徳川幕府により、元和元年(1615)に一国一城令が出されたが、肥後国の熊本城と麦島城は特別に一国二城が認められた。元和5年の大地震で麦島城は崩壊したので、熊本藩主の加藤忠広の重臣加藤正方が1622年この地に完成したのが、八代城です。
その後、加藤家の改易にともない、細川忠興が入部、以後細川家の家老松井氏が城代として、明治維新まで続いた。創建当時は、本丸に4層5階の天守と2層2階の小天守、7棟の櫓が建っていたが、現在は本丸の石垣と内堀が残るのみ。本丸跡には八代宮があります

八代城内への入口 本丸の石垣内堀




本丸内にある 八代宮の鳥居

澤井家住宅と長屋門
八代城跡の西に位置し武家屋敷のたたずまいが残る

澤井家は室町時代から足利家に仕える家柄で、その後細川家につかえ要職を務めた現在の住宅は慶応元年(1865)のもので、八代城下には現存する江戸時代の建物がなく貴重

市立博物館の向かい(城の北西)に 松浜軒
八代城代浜御茶屋八代城代松井直之が母崇芳院のために建てた別邸で、当時この辺りに松林で八代海に面し風光明媚であった。庭園は国名勝に指定、心字池を中心に茶庭で、江戸時代初期の大名庭園を伝えている。現在、ヒゴハナショウブの名所でもある

全景

今日一日の見学も終わり2日目八代の ホテルアルファーワン八代で泊まる


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